SSブログ

続 sein はリアルな述語ではない [ノート]

ずいぶん間があいてしまった。が、あいかわらず、これといって書きたいこともない。で、ここは「sein はリアルな述語ではない」の補足をしてお茶を濁すことにしたい。
ハイデガーはカントの「reales Prädikat」についてどんなことを云っているのか? その『現象学の根本問題』を覘いてみたところ、彼は、ただ、カントにおいては(bei Kant)、「Realität」は現実性や実在性といった意味をもってはおらず、ヴォルフ門下のバウムガルテン――そのテクストをもとにカントは講義をすることが多かったのだとか――を介してスコラ哲学に従うかたちで用いられている、と云っているだけで、別に当時のテクストを博捜してカントの場合だけでなく一般にそうだったということを示してみせている訳ではないのだった。
ともあれ、ハイデガーは、バウムガルテンを引きつつ、次のように云っている。
「バウムガルテンは ens、存在者一般を劃定する節において云っている: Quod aut ponitur esse A, aut ponitur non esse A, determinatur〔A であるとして立てられるか、または A ではないとして立てられるものは限定される〕〔原註: Baumgarten, Metaphysica (1743), §34〕、「A であるとして措定されるか、または非‐A であるとして措定されるものは規定される〔was gesetzt wird als A seiend oder gesetzt wird als nicht‐A seiend, wird bestimmt〕。」そのように措定された A は determinatio だ。カントはものの何〔Was eines Dinges〕に、res に加わる規定について語っている。規定、determinatio は res を規定するもの、リアルな述語〔reales Prädikat〕を意味する。そこで、バウムガルテンは云う: Quae determinando ponuntur in aliquo, (notae et praedicata) sunt determinationes〔限定するかたちで何かについて立てられるもの(メルクマールおよび述語)は限定である〕〔原註: 前掲書、§36〕、「何らかのものについて規定様態において措定されるもの(メルクマールおよび述語)は規定である〔was in der Weise der Bestimmens in irgendeinem Ding gesetzt wird (Merkmale und Prädikate), sind Bestimmungen〕。」したがって、カントが存在〔Dasein〕は規定ではないという表現を用いるとき、この表現は少しも恣意的ではなく、術語的に限定されている。determinatio だ。そうした規定、determinationes は二様であり得る。Altera positiva, et affirmativa, quae si vere sit, est realitas, altera negativa, quae si vere sit, est negatio〔ポジティヴでアファーマティヴな方は、それが正しく立てられているのであれば、リアリティであり、ネガティヴな方は、それが正しく立てられているのであれば、ネゲーションである〕〔原註: 同上〕、「ポジティヴに措定的に、あるいはアファーマティヴに、肯定的に措定する規定項は、その肯定が正当ならば、リアリティであり、他方の否定的な規定は、それが正当ならば、ネゲーションである〔Das Bestimmende, was positiv setzend bzw. affirmativ, bejahend setzt, ist, wenn diese Bejahung rechtmäßig ist, eine Realität, die andere verneinende Bestimmung ist, wenn sie rechtmäßig ist, eine Negation〕。」リアリティは、だから、正当な、当の事物〔Sache〕、res そのものに、その概念に適った、事象内容を含む〔sachhaltige〕、リアルな規定、determinatio だ。リアリティの反対がネゲーションだ。
 カントは批判以前の時期ばかりでなく、『純粋理性批判』においても、やはりこうした概念規定に遵っている。例えば、彼はものの概念〔Begriff eines Dinges〕について語り、「リアルなもの〔eines Realen〕」を括弧に括っているが〔原註: 『純粋理性批判』、B286〔つまり第二版、p.286〕〕、これは現実的なもの〔eines Wirklichen〕のことではない。リアリティは肯定的に措定された、事象内容を含む述語を意味するのだから。どんな述語も根本においてはリアルな述語だ。すると、存在〔Sein〕はリアルな述語ではないというカントのテーゼは、存在はそもそも何らかのものの述語などではない、ということを実は述べていることになる。カントはカテゴリー表――そこにはリアリティの他に存在〔Dasein〕、エグジステンスも属す訳だが――を判断表から導出している。判断は、形式的に見れば、主語と述語の結合だ。どんな結合あるいは統合も、その都度、可能なユニティ〔Einheit〕を考慮して為される。それぞれの統合に際して、たとえ主題的に捉えられてはいなくとも、或るユニティのアイディアが心に浮かんでいる。判断において、つまり統合において心に浮かぶユニティの様々な可能な形式、判断的結合のための可能な考慮ないしは考慮内容、それがカテゴリーだ。・・・リアリティも、そしてエグジステンス、存在〔Dasein〕も、そうしたユニティの形式のひとつだ。我々はリアリティと存在という両カテゴリーの差異を、それらがまったく相異なるカテゴリーのクラスに属すことから、はっきりと見てとることができる。・・・リアリティは質のカテゴリーのひとつだ。質でもって、カントは、或る述語が或る主語に付与されるかの否か、それについて肯定されるのか、それとも反措定〔entgegengesetzt〕されるのか、つまり否定されるのかを示す断定のキャラクター〔Charakter der Urteilssetzung〕を表わしている。リアリティは、だから、肯定的な、アファーマティヴな、措定的な、ポジティヴな判断だ。これはまさにバウムガルテンがリアリティに下している定義だ。・・・」(Heidegger, Die Gruntprobleme der phänomenologie, Vittorio Klostermann, S. 46-48)
このあたりを踏まえてのことだろう。木田元は、『ハイデガーの思想』(岩波新書)において、「カントの『純粋理性批判』のように無数の人によって読み継がれ研究しつくされてきた重要な著作の、それも核心部に長いあいだ明確な誤解があったのを、ハイデガーはいかにも快刀乱麻を断つといった感じで訂正してみせるのである」と書いている。リアリティはカテゴリーのひとつとして『純粋理性批判』の核心に位置する概念なのにながいこと実在性という意味に誤解されていたと彼は云うのだ。が、それは荒唐無稽というものだろう。件の概念がスコラ哲学に由来するからには、話は単に、やっぱり哲学書を読むにはそれなりのたしなみが必要なのだ、ということに尽きるだろう。ハイデガーは講壇哲学の常識をいかにも教師然として説いてみせたまでなのではなかろうか。
ついでに書いておけば、バウムガルテンの定義では、或る概念がリアリティであるかネゲーションであるかは個々のケース次第であり、対象に相対的であることになる――例えば、素数という概念は数 7 についてポジティヴに立てられればリアリティであり、6 についてネガティヴに立てられればネゲーションだ――が、カントにおいては、リアリティとネゲーションは概念そのものをその意味内容に即して区別するもののようだ。例えば、無なるものを論じつつ、カントは次のように書いている。
「リアリティは何かであり、ネゲーションはである、つまり、蔭や冷たさのような、何らかの対象の欠如に関わる概念である(nihil privativum〔欠如的無〕)〔Realität ist Etwas, Negation ist Nichts, nämlich, ein Begriff von dem Mangel eines Gegenstandes, wie der Schatten, die Kälte, (nihil privativum)〕。」(『純粋理性批判』、B347)
いまひとつ要領を得ない文だが、蔭は光の欠如を、冷たさは熱の欠如を意味するのであり、ネゲーションとは、そのような、何かの欠如を意味する概念のことだ、という訳なのだろう。なお、ハイデガーは何故か「non esse A」に「nicht‐A seiend」を当てているが、カントにおいては、A ではないという判断と非‐A であるという判断は否定判断と無限判断として区別される。それに対応して、質として括られるカテゴリーには、リアリティとネゲーションに加えてもうひとつリミテーションなるものがあって、話はさらにややこしくなるのだが、ここらでもうやめにしておこう。
コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。